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alterna × ANoTHER IMPERIAL HOTEL
日本第二の淡水湖・霞ヶ浦を臨み、神武天皇元年の創建と伝えられる鹿嶋神宮で名高い茨城県鹿嶋市。 ここに約18ヘクタールという広大な畑を有する唐澤秀さんは、「自然栽培農法」で野菜や米などを育てています。農薬や化学肥料はもちろん、堆肥さえも使わず「麦と大豆の力」だけで生まれた作物は大地の恵みそのもの。
さらにこれらの作物からジェラートやビールを作り、直営レストランやオンラインを通して提供もしています。美味しさを追求したら自然栽培にたどり着き、「本当の美味しさ」を広げることで地球の未来につなげていきたいという唐澤さんに、取り組みにかける思いを伺いました。
自然栽培の畑で。一面に育っているのは麦。
唐澤 秀 (からさわ・しゅう)
1976年、静岡県浜松市出身。中学時代にアメリカの環境活動家レスター・R・ブラウンの本を読み「食糧危機がやって来る」と危機感を抱き、農業の道を志す。明治大学農学部を卒業後、農業生産法人勤務を経て2008年に鹿嶋市へ移住、新規就農。「この世を楽園にする!」を掲げ、鹿嶋パラダイス設立。2015年、飲食・食品製造部門として株式会社オールフィールズを設立。2016年、地ビール工房&自然食レストラン「Paradise Beer Factory」をオープン。自然栽培農法を通して持続可能な農業の普及に取り組む。
「この花はオオイヌノフグリといって、これが咲く畑では作物がよく育つんです」
ここは唐澤さんが所有する畑の一つ。所々でオオイヌノフグリが小さな紫の花を咲かせる中、軽く土を掘ると形の整ったニンジンがゴロゴロと出てきました。
土を洗い落とすと、まばゆいオレンジ色の果肉が姿を表します。それを生のまま口に含むと、みずみずしくシャリッとした食感とともにこれまで体験したことのないような味が広がります。
「はじめて口にした皆さんは驚くのですが、セリの香りがしませんか?ニンジンはセリ科なのでこれが元々の味。自然栽培で育てると、野菜が本来持っているDNAそのままの味や香りになるんです」
自然栽培農法とは、農薬や化学肥料、有機肥料さらには動物由来の堆肥さえも一切用いない農法です。種を蒔いた後は太陽と水、畑の土だけで作物を育てます。
「よく、肥料や堆肥を使わないで育つのかと疑問を持たれるのですが、これが育つんです。それも当然のことで、現在の慣行農法が広まったのは戦後から、ここせいぜい70年のこと。稲作の始まった弥生時代から約3千年という長大な歴史の中で、人々は経験を通して肥料をやらなくても作物が育つことを知っていたはずです」
大根、麦などさまざま作物が育つ自然栽培農法の畑。周囲に咲く紫色の花がオオイヌフグリ。
採れたてのニンジンは噛むとセリのような味が。
唐澤さんは、こう続けます。
「『大豆で肥料をやり、麦で耕す』と言い伝えられていますが、これら2つの作物が自然栽培のカギを握ります。大豆の根には根粒菌(こんりゅうきん)という微生物がいて、作物の生育に欠かせない栄養分である窒素を供給します。一方の麦は深く根を張ることで土を柔らかくして、地中に水分や養分を浸透させる役割を担ってくれるのです」
唐澤さんは農学部を卒業後、農業生産法人で働きながら各地の生産者と交流を重ね、青森県で無農薬・無肥料のリンゴを栽培する木村秋則さんに出会います。木村さんの取り組みは「奇跡のリンゴ」のタイトルで映画化や書籍化され、自然栽培農法を世に知らせるきっかけになりました。
「木村さんとの出会いがきっかけで自然栽培に興味を持ち、埼玉県の自然栽培農家を訪ねたときのこと。そこでいただいた小松菜が、全身の細胞が震えるほど美味かったんです。噛むと香りが口の中に広がり、鼻にスーッと抜ける。野菜の香りはこんなにも高貴なものだったのかと、価値観を覆されました」
農業生産法人を退職した唐澤さんは2008年に鹿嶋市に移住し、耕作放棄地を開拓しながら自然栽培農法に取り組みます。
「これまで色々な農法を試してきましたが、自然栽培を超える美味しさはありません。臭いの強いものを入れればそのニオイが作物に移るものですが、何もやらないという選択の結果そのまんまの味や香りが味わえるんです」と、唐澤さんは言葉に力を込めます。
「自然栽培農法が広がれば、霞ヶ浦の水はもっと綺麗になる」と語る。
ただし道のりが険しいことも事実で、自然栽培農法をはじめて17年経った今も、トライ・アンド・エラーの繰り返しだといいます。慣行農法に慣らされた畑を本来の姿に戻すのは時間がかかり、近年は気候変動の影響で思った通りの成長や収量が得られないことも珍しくありません。
「他にも課題はあります。農業という産業はそもそも単価が低く、大量につくって売らなければ利益が出ない薄利多売が前提になっています。収量の見通しを立てるのが難しい自然栽培でそれをやるのは無理があり、生計の見通しを立てることさえ難しい。ならばどうするか。作物に高い付加価値を付けるしかありません」
そこで唐澤さんが取り組むのが、作物の栽培から加工、販売までを一貫して行う6次産業化。作物から製品を作り、生産原価が高くなってしまう分、中間流通を省き付加価値を付けて販売します。こうすることで、多くの人に自然栽培の美味しさを知ってもらおうというわけです。
そのために会社法人としてオールフィールズを設立し、鹿島神宮の参道沿いに直営レストラン「Paradise Beer Factory(パラダイス・ビア・ファクトリー)」をオープンしました。こうした取り組みから生まれたのが、豆乳ベースのジェラートや自家栽培の麦でつくったクラフトビールです。
自家栽培の麦からつくったクラフトビールを楽しめるレストラン「パラダイス・ビア・ファクトリー」。
レストランに隣接した醸造場。原料の栽培からビールづくり、販売まで全てを自前で行うのは世界的にも珍しい。
イタリアから輸入したジェラートマシンから絞り出されたばかりのジェラートは、口に含むとほんのりした甘さが広がった後なめらかに溶けていきます。
「ジェラートの原料は大豆、甜菜糖(てんさいとう)、甘酒の3つだけ。甘酒を入れると麹の働きで、とても滑らかな食感になるんです。大豆は希少性の高い鹿嶋在来種だけを用います」
唐澤さんは「美味しさを決定づける要素の2割は自然栽培であること、あとの8割は品種の選択にある」として、こう説明します。
「鹿島在来種は糖度が一般的な大豆の2倍以上あり、ジェラートに最適です。ただし都道府県の指定品種には登録されておらず、農業保険にも入れません。天候不順が続く中、栽培リスクがとても高いというのもありますが、この貴重な種を絶やさずに将来につなぐことも、大切な使命だと思っています」
材料の豆乳をマシンに投入してから5分程度でジェラートに。味はプレーンの他にチョコレート、抹茶、きなこ、バナナなど複数のバリエーションがある。
一方のクラフトビールは「日本人として日本の素材を使ったビールを作りたい」との思いから鹿嶋市北部の麦畑で栽培したビール専用品種「ミカモゴールデン」と、日本酒蔵に住む野生酵母からつくります。
ビール原材の98%を占める麦の栽培から醸造までを自前で行うのは、世界的にも珍しいこと。世界でもっともクラフトービールづくりが盛んといわれる街・オレゴン州ポートランドの醸造家からは、賞賛の意味を込めて「クレイジーだな」と言われたそうです。
6次産業化を進める理由は付加価値を持たせてビジネスとして成り立たせることもありますが、最も強い動機付けになっているのは「効率や生産性を過度に優先する社会からの脱却」で「ちゃんと素材をつくり、ちゃんと加工していく」ことだといいます。
「その当たり前のことを当たり前にやる精神を、世界一の農家さんから学んだんです」と、唐澤さんは語ります。
「農業生産法人で働いていたとき、世界的に高い評価を受ける農家を訪ねてヨーロッパやアメリカを旅しました。そこでは生産、加工、販売を一貫して自分たちの手でやっているのはもちろん、それぞれの現場で働くすべての人が目を輝かせ、自分たちの商品をこれでもかというくらい自慢し、思いを一つにしていたんです」
唐澤さんは、その様子に大変な感銘を受けたと振り返ります。
「僕はこれを『思いの一貫性』と名づけて、全部を自分でやってみよう、スタッフのみんなが自慢したくなる商品をつくっていこう、と決めました」
柔らかな飲み味のクラフトビール各種。
唐澤さんは、自然栽培の田畑を増やしていくが持続可能な未来への一歩になるといいます。行動指針として定めた「パラダイス憲章」は「この世にパラダイスをつくり、関わる人の人生をパラダイスにしよう」という一文で始まり、以下のように続きます。
Charter 1:僕たちは常に「うまい」を選択する
Charter 2:僕たちは自らの頭で考え、自らの手でつくることに重きをおく
Charter 3:僕たちは素材をつくることからすべてをはじめる
Charter 4:みながいて、美しい地球があってこそのパラダイス
「色々な苦労をしてまで自然栽培にこだわるのも、『うまい』が持続性の根本となるエネルギーになるという確信があるから。美味しいものを食べたいという人間の欲望を叶えるだけの『うまさ』のポテンシャルを、自然栽培は持っています。地球を犠牲にして快楽を得るのではなく、すばらしい地球と、人間の欲望を両立させていく未来の社会システムをつくりあげたいんです」
「その美味しさを多くの人が知れば自然栽培の需要が高まるでしょう。近年は気候変動や環境汚染が問題になっていますが、環境負荷の低い自然栽培が広がれば、結果的に地球も良くなっていくと思います」
「地球は子孫からの借り物。子どもや孫世代に希望を残すためにも、今できることに最大限取り組みたい」と、唐澤さんは未来を見つめます。
自然栽培農法を広げることでパラダイス(楽園)の実現を目指す。
取材協力・株式会社オルタナ
撮影・久間昌史